55年前の別府米軍基地:キャンプ・チッカマウガ

朝、いつもの通り教会へ。

毎週、教会に通ってくるG夫人は、隣に住む次女夫婦と孫に囲まれてにぎやかな毎日を送られている。軍人だったご主人の勤務のため、Gさんは外国暮らしが長く、子供3人はすべて外国生まれ。その中でも特別な思いがあるのは、最初に行った外国、日本だという。

1952(昭和27)年から53年にかけて1年間住んでいた場所は別府にあった米軍基地。Gさんの日本の思い出はすべて、55年前の美しき町、別府の記憶で満ちている。

インターネットで調べたところ、その基地はジョージア州にある南北戦争の激戦地チッカマウガに景色が似ていることから「キャンプ・チッカマウガ」と呼ばれており、1957年に日本へ返還、その後、自衛隊基地を経て、現在、別府公園として市民に親しまれた場所であることがわかった。

Gさんに基地の現在の姿を調べると約束していたが、別府に行くまでもなく、インターネット上でいろいろな情報が集まった。米軍基地当時の建物は順次なくなり、最後の建物は2002年に取り壊されていた。

http://wakaba2001.exblog.jp/41014/
(「別府の町並み変化」より)

しかし、キャンプの人たちが植えたヒノキの木は大切に保存されており、毎年、クリスマスの時期にはきれいに飾りつけられて、点灯式が行われているという。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/oita/kikaku/023/4.htm
(「読売新聞」より)

http://today.blogcoara.jp/beppu/2006/12/post_d260.html
(「今日新聞」より)

この写真をコピーして、英訳した解説をつけたものをGさんにお渡ししたら、涙を流して喜んでくれた。

当時、言葉の問題もあり、日本人との交流は限られたものだったようだが、通いのお手伝いさんがいたこと、玉子の行商人が来ていたこと、米軍指定の食堂が町に2軒あり、日本食を食べたことなどを話してくれた。

55年前のことであり、当時を知る人々も70代後半にかかっている。書きついで行きたい歴史のひとコマであると思った。