與那覇潤『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

著者の與那覇潤先生からご恵投いただき、一挙に読ませていただいた。すでにネット上には「目からうろこ」といった感想が溢れかえっており最注目の一書となっているが、私の感想もまさしく同じように「なるほどこういう風に読み解くとスッキリするのか」というものである。かつて、似たような気分になったことがあるなと考えていたら、大学1年の時に読んだ、梅棹忠夫先生の『文明の生態史観』のことを思い出した。

那覇さんとは一面識もないのだが、奥付のプロフィールを見るとまだ30代前半の方のようだ。そんな若い方なのか、という驚きもまたネット上の感想と同じなのだが、考えてみると梅棹さんが文明の生態史観を書いたのも30代である。グランドセオリーこそ若い人から出るのだなと(私としては残念だが)納得させられた。

さて、本書の要点を一言でいうならば、世界でもっとも早く宋代に近世(=初期近代)に入った中国、すなわち、貴族制度を全廃し皇帝が独裁政治を始める一方で、経済や社会を自由化した中国に対して、日本はより分権的で、それとは対局的な「近世=江戸時代」を迎えた。その「江戸時代」の社会のしくみは日本が近代化を達成したあとも「長い江戸時代」として続いてきたが、近年、それが終焉を迎え、宋代以来の中国のような状態に移行しつつある、というものである(p.15-17)。具体的には小泉改革以来の日本の変化を、日本人が大好きな「江戸時代」的なしくみがいよいよ立ち行かなくなり、経済や社会の自由化(=「中国化」)に向かっていると捉えるのである。

「長い・・・」というような表現は歴史学では最近一般に使われているが(たとえば「長い19世紀」など)、「長い江戸時代」という言い方はこれまで使われたことがなく筆者独自の概念である。もっとも、江戸時代と明治時代を断絶ではなく連続として捉える見方は近年、歴史家の間では一般的になっており、別段、突飛なものではない。あるいは、昭和戦前期と戦後期についても同じような見方がなされるようになっており、その見方をさらに拡大すれば、過去400年を一つの時代として捉えるという考え方も成り立つことになる*1。筆者は「本書で書かれている歴史像は私の独創というには程遠くて、むしろ斯界のプロのあいだでは新たな定説になりつつある研究視覚や学問的成果を、メドレー方式にリミックスしただけといってもいい」ときわめて控えめな言い方をしているが(p.17)、逆にいえば、近年新たな事実が明らかになったためプロの歴史家が逆に描けなくなってしまった歴史の全体像を、大胆に描いてみせたということになる。私からすれば、これこそまさに「独創」というべきと思う。

ところで、本書が描く「江戸時代」が通常の歴史書ではあまり取り上げられることのない「歴史人口学」をベースにしていることも特筆しておくべきだろう。筆者はまず。近世中国についてつぎのように捉える。

「できる限り親族ネットワークのメンバーを増やしてサヴァイブしようとするのが、やはり宋朝以降の宗族主義ですから、清代の中国は空前の人口増加を経験し、そして政府は万事レッセ・フェール(なすにまかせよ)で、それをコントロールする手段を持っていません。すなわち、近年まで中国を悩ませてきた過剰人口時代の始まりであり、それがやがて、近代にはかの国の(一時的な)衰退を導くことになります」(p.71)

これに対して

「どういうわけか知りませんが、江戸時代250年は「世紀」ごとに切った方が正しく理解できて、最初の100年間(17世紀)の急激な人口増加に対し、次の1700〜1800年の100年間は全国人口がピタリと停滞してほぼ横ばいになります。これがその後の近代化を可能にした、とみる論者も多い」(p.96)

と捉え、18世紀に日中の人口変動にきわめて大きなコントラストがあったことに注目している。歴史人口学者の間では自明となっている点だが、一般にはあまり知られていない事実ではなかろうか。

私を含めた日本の歴史人口学者の多くは、まさにこの問題に取り組んでおり、様々な説明を用意してきた。江戸時代の日本は、世界にも稀な「都市の時代」であり、城下町や在郷町に向けて農村から大量の人口移動があったこと*2。都市は死亡率が農村に比べて高く、かつ出生率は低いため一種の蟻地獄の様相を呈していたことから、人口の抑制装置として機能していたというのは、日本では速水融の「都市蟻地獄説」として知られている*3

那覇さんはこの状態を

「姥捨て山は偽の江戸、孫捨て都市が真の江戸」

というユニークな言葉で表現し、現代の年金制度にまで結びつけて論じている点には、大いに驚かされた。じっくりと考えてみたい指摘である。

本書は、これからしばらく学界、あるいは歴史教育の場、さらに広く読書人の間で大きな論争を巻き起こすことは間違いない。現に、発売間もない現時点でもネット上では様々な意見が飛び交っており、かつ、それに対して筆者が即座に反応するという驚くべき状況(!)になっている。もっとも大きな影響の及ぶのは教育界かも知れない。本書が若い学生、生徒にどのような影響を与えるのか、実に楽しみな気分だ。

第1章の無料ダウンロード(2012年1月5日まで)はこちら。
http://www.bunshun.co.jp/info/111109/

*1:浜野・井奥・中村他『日本経済史1600-2000―歴史に読む現代』慶應義塾大学出版会 2009は、まさにそのような意図で書いたが、「長い江戸時代」の経済史というような捉え方はまったく思いつかなかった。

*2:なお、1点だけ本書に注文をつけるとすれば、人口移動の事例として紹介されている「大垣藩西条村」(p.99)は正しくは「天領(=幕府領)大垣藩預り地西条村」とすべきである。この点がなぜ重要かといえば、江戸時代の人口史料として使われる「宗門改帳」の様式は千差万別であり、理由は不明だが、「天領大垣藩預り地」という特殊な所領こそもっとも歴史人口学に適した史料が残されている場所だからである。ちなみに大垣藩の宗門改帳は天領預り地のものとはまったく違う様式で、研究目的からすればあまりよくない(速水融『歴史人口学で見た日本』p.92)。このような多様性(地理的にも時間的にも)は江戸時代の大きな特徴であるが、もちろん著者はその点を十分認識した上で、本書を執筆していることはいうまでもない。

*3:ただし、人口停滞には大きな地域差があったことも重要であり、東北地方ではもっとダイレクトな出産制限(=間引き・堕胎)も頻発していた。浜野潔『歴史人口学で読む江戸日本』