Economic Thought in Early Modern Japan: Monies, Markets, and Finance in East Asia, 1600-1900

Economic Thought in Early Modern Japan (Monies, Markets, and Finance in East Asia, 1600-1900)

Economic Thought in Early Modern Japan (Monies, Markets, and Finance in East Asia, 1600-1900)

  • 作者: Bettina Gramlich-oka,Gregory Smits
  • 出版社/メーカー: Brill Academic Pub
  • 発売日: 2010/08/30
  • メディア: ハードカバー
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近世日本経済思想史という、日本でも必ずしも研究者の多くない分野に関するシンポジウムが2008年ドイツで行われた。本書は、そこに提出されたペーパーをまとめたものである。章ごとの読後メモを順次アップしてみたい。

第1章 Ethan Segal, Money and the State: Medieval Precursors of the Early Modern Economy
 荻生徂徠は『政談』の中でかつて農村ではほとんど貨幣が使われておらず、取引はもっぱら米や麦で行われていたというようなことを述べている。こうした言説からすれば、貨幣経済化が日本中にひろまったのは、近世、それも中期以降のことであり、自ら食糧を生産できない都市住民の増加が貨幣経済化をもたらしたというイメージが作り出されてきた。著者のEthan Segalは、こうした理解は、中世における貨幣経済の進展を過小評価するものであり、中世から近世の貨幣経済はより連続的なものとしてとられるべきだと主張する。
 周知の通り中世の貨幣経済は、中国銭を輸入して荘園年貢の代銭納に使うことから全国へと広まった。現物納では納入額の50%に上る輸送経費がかかっていたのに対して、貨幣納はその費用を30%程度に抑えることができたからである。Segalはさらに14世紀以降、利用が広まる「為替」あるいは「割符」にも注目する。こうした信用手段の利用は一方で代金回収失敗のリスクを含みながらも、輸送費用の圧倒的削減が可能になるため、徐々に広まったのである。
 ところで、近世の革新性を象徴する制度として「三貨制度」がよく取り上げられる。しかし、Segalは、こと銅貨に関しては中世以来の中国銭の流通がかなりの間続いていたのでり、その点においても連続性を強調するべきだという。では、徂徠が『政談』において、貨幣経済化はごく最近のことであるという説明をしたのはなぜなのだろうか。Segalは、徂徠から見れば、米中心の経済こそ武士にとってあるべき姿なのであり、そうした理想社会が過去においては存在したというノスタルジックな考えが、このような言説につながったのではないかと述べる。近世経済思想を考える上でも、非常に興味深い指摘といえるだろう。