Economic Thought in Early Modern Japan: Monies, Markets, and Finance in East Asia, 1600-1900

第2章 自由と統制に関する経済思想
 本章では、江戸時代の主要な経済思想を1つずつ吟味しつつ、もともと中国から輸入された思想体系が江戸時代の経済的変化の実情に合わせて変化したプロセスが検討されている。ここでは「自由と統制」という概念がその中心に置かれるが、こうした概念の検討は、たとえば明治期の政府と民間部門の間の関係を考える上でも重要であると筆者は指摘している。
 著者によれば、中世の人びとは「彼岸」といった仏教的世界に強い関心を持っていたが、近世に入ると関心は「此岸」すなわち現世へと向かうようになる。そこで中心点な役割を果たしたのが儒学思想であり、この傾向は18世紀末に幕府が朱子学を正統な学問にすると、全国で多くの私塾が作られて広まった。この時代を代表する儒学者の一人海保青陵は、人間相互の関係は経済原理にもとづくものだと考える。つまり、武士と農民の関係も、土地の貸与に対して地代を納める自由な経済的関係として捉えるのである。これに対して、横井小楠のように藩は経済に対して積極的に介入すべきという、より統制的な立場を取る見方もあった。小楠は青陵の自由な利潤追求に完全に反対するわけではないが、経済発展には武士による統制も必要だと考えていた。
 このような意見の対立は認められるとしても、近世には「自由」と「統制」が近代的意味で対立していたわけではないと筆者は述べる。武士は実際の経済活動からは遊離した存在だったので、庶民を完全にコントロールする力をもっていなかったし、また庶民の側から武士階級への抵抗も、ごくまれな極限状況でしか生ずることはなかった。結局のところ、儒教思想は武士と庶民の対立を緩和する方向へ作用したのであり、近世日本は、自由と統制がうまく調和した社会としてとらえるべきなのである。